「惑星」の定義から見る太陽系
惑星の発見から天文学の移り変わりを探る

 2006年8月24日 チェコのプラハで行われていた国際天文学連合(IAU)総会で、「惑星」の定義が決定し、これまで「惑星」とされてきた冥王星が惑星から除外されたました。国立天文台こちらのページをはじめ、いろいろなHomePageや各メディアなどで報道され、皆さんもご存じのことと思います。

 ここでは、なぜ、今回「惑星」が定義され、なぜ冥王星がそこからはずされたのか。人類がこれまで見てきた惑星の歴史をさぐりながら、これまでの太陽系宇宙の変遷を見ていきたいと思います。

惑星は「放浪者」だった・・

 古代から、人々は夜空を見上げていろいろなことを想像していました。現在「星座」と言われているものの多くは、チグリス・ユーフラテス文明の発祥した地方で、夜、羊の番をしていた羊飼いたちが、空想の中で星々をつないでいったことに由来しています。やがてそれはひとつの物語りとなり、神話となって語り継がれていくようになります。
 その星座の星々は毎日東から西へと動いていきますが、お互いの位置関係を変えることはほとんどありません。ところが、いくつかの明るい星は、星座の星々の並びとは関係なく、あっちへいったりこっちへいったり、ふらふらと動いているのです。
 例えば、下のアニメーションを見てみてください。さそり座の中にある赤い一等星アンタレスのすぐ近くを、まるでその明るさを競うかのように赤い星が寄っていき、止まったかと思うと再び離れて行ってしまいました。
 古代の人々は、そんな星の動きと星座たちの神話を関連して考えるようになります。この赤い星を戦争の神に見立て、「さそり座の中にあの赤い星がいるから、今年は戦争が起きるだろう」というように、現実の想像へとつながっていくようになりました。これが、後に占星術へとつながっていくことになるのです。

 実は、この上の画像は、2001年に火星が地球に接近したときに、実際にさそり座の中を移動していった火星のシミュレーションです。このように、予測のつかない動きをする星たちのことを、ラテン語で「プラネタ」=放浪者と呼んでいました。これが欧米に現在まで伝わって、英語の「Planet」になりました。ラテン語を語源とする欧米各国では、どの言語でもほぼ同じ名前で呼ばれています。

●おまけ● 日本語ではなぜ「惑星」?

 欧米では「プラネタ」が語源だとすると、日本語の「惑星」はいつからそう呼ばれるようになったのでしょうか?。惑星の文字は、読んで字のごとく「惑わす星」。その予測できない動きからこう呼ばれるようになったことは想像できますね。日本語で「惑星」という標記が見られるようになったのは江戸時代後期ごろからで、それ以前は中国語を語源とする「行星」と呼ばれることが多かったようです。
 また、「惑星」と同じことを「遊星」と呼んでいた人もいました。明治期に入って、同じ天体を2つの名前で呼ぶのは問題があるためこれを統一しようと、学者の間で話し合われていた時代、東大系の学者たちは「惑星」を主張し、京大系の学者たちは「遊星」を主張したという話しも残されています。

「放浪」から「規則性へ」

 このようにして、古代人には「神の成せる技」として伝えられてきた天体の動きも、近世に入るとそれを学術的に解こうとする学者が現われます。紀元2世紀のエジプトの学者プトレマイオス(100ごろ〜180ごろ)が、著書「アルマゲスト」の中で、大地のまわりをまわる天体が、さらにもうひとつの円運動をしながら回転しているという説を唱えます。これが「天動説」と呼ばれ、16世紀〜17世紀まで人々に「常識」として考えられていた宇宙観です。
 天動説はキリスト教とともに世界中に伝わり、長らく「宇宙は地球を中心にまわっている」と考えられてきました。天動説では、かなり数学的に天体の動きが示されていましたが、それでもなお解らない部分については、「神の仕業」であるとしていた部分がありました。これが、キリスト教を広く知らしめる原因になったとも考えられています。

コペルニクスの地動説

 しかし、注意深く天体の動きを観察していた学者たちの中には、その「神の仕業」としていた部分を理論的に解決しようとしていた者もいました。16世紀のポーランドの天文学者ニコラウス コペルニクス(Nicolaus Copernicus 1473〜1543)は、自身の研究から天体は地球を中心にまわっているのではなく、地球を含む惑星が、太陽を中心に同心円を描く軌道をまわっているとする「地動説」を唱えました。これは現在考えられている太陽系宇宙観の最も基本となるものです。
 しかし、コペルニクス自身もキリスト教の司祭であったため、その考えはキリスト教の教えに反することになり、宗教的な理由からそれを主張することはありませんでした。 その後、17世紀に入り天体望遠鏡が発明され、より精密な観測ができるようになると、ガリレオ ガリレイ(Galileo Galilei 1564〜1642)やヨハネス ケプラー(Johannes Kepler 1571〜1630)・アイザック ニュートン(Isaac Newton 1642〜1727)などにより、地動説が正しいことが証明されたことは、皆さんもよくご存じのことと思います。

 下の画像の「1543年」にカーソルを合せると、肉眼で見ることができた水星・金星・火星・木星・土星の5惑星と地球が太陽のまわりをまわるという、その時代に解っていた太陽系の大きさがわかります。



地動説以後の太陽系天文学の移り変わり
年代にマウスを合せると、その時代に知られていた太陽系天体の軌道が現われます。

天王星の発見

 地動説が一般に認められるようになると、宇宙に関する関心は一気に高まりました。天体望遠鏡も次々と改良され、凸レンズを組み合わせたケプラー式から、凹面鏡と凸レンズにより焦点を合せるニュートン式へと進化していきました。
 望遠鏡を使って宇宙を見るようになってから、天文学は一気に加速して、様々なことが解ってきます。ドイツ生まれでイギリスで研究をしていたウイリアム ハーシェル(Frederick William Hershel 1738〜1822)は、1781年3月13日におうし座の中に6等星を見つけました。最初、この星は当時解りはじめていた天体の一つである彗星だと思われていました。しかし、その動きを継続して観測すると、その軌道は土星軌道よりずっと遠くの円軌道を描く、とても大きな星であることがわかりました。肉眼では見えなかった新たな惑星の発見です!。
 発見当初は、ハーシェルが当時のイギリスの新国王の名前を付けたり、ハーシェル自身の名前が付けられたりしましたが、最終的にそれまでに解っていた肉眼で見える5惑星と同じようにギリシャ神話の神々の名前が付けられ、天空を司る神ウラヌス(Uranus)となりました。この中国語訳がそのまま日本に伝わり、日本では天王星となりました。

小惑星の発見

 水星から土星までの惑星の軌道の平均距離が、ある方程式によって表せる規則性があることを、ドイツの天文学者ヨハン ティティウス(Johann Daniel Titius 1729〜1796)が1766年発見しました。それを、1772年にドイツの天文学者ヨハン ボーデ(Johann Elert Bode 1747〜1826)が発表し、これが後に「ボーデの法則」と呼ばれる惑星の運行を表す法則です。この方程式に1を代入すると地球軌道となり、0が金星・2が火星・4が木星・5が土星となります。しかし、「3」にあたるところには惑星がなかったため、当時この方程式はあまり注目されていませんでした。
 ところが、その後発見された天王星にもこの方程式に6を代入すると当てはまることがわかり、この方程式の信憑性が一気に高まります。これによって、「3」にあたる位置の惑星を全世界の天文台が探すようになります。
 1801年1月1日、イタリアのシチリア島にあるパレルモ天文台のジュゼッペ ピアッツィ(Giuseppe Piazzi 1746〜1826)は、おうし座に7等の星があるのを見つけました。他の惑星とは明らかに違う動きをするその星は、一旦太陽と同じ方角に行ってしまい見えなくなりましたが、同じ年の12月31日に再び見つけられ、その後の観測により、ボーデの法則の「3」に当てはまる天体であることがわかりました。この天体はその後「ケレス」(英語読みではセレス)と名づけられました。
 その後1802年にはパラス・1804年にジュノ・1807年にベスタと、次々と小さな天体が見つかりました。現在では、この「3」に当てはまるところに4万個以上の小さな天体が帯状に広がっていることが解っています。

海王星の発見

 一方、天王星の発見以後、その動きは継続して観測されていましたが、計算される軌道がどうしても万有引力の法則に合わないため、その結果からボーデの法則の「7」にあたる惑星があるのではないかと仮定したのが、イギリスの天文学者で数学者でもあるジョン アダムス(John Couch Adams 1819-1892)でした。また、フランスのアーバイン ル ベリエ(Urbain Jean Joseph Le Verrier 1811-1877)も、その可能性を示すまったく別の論文を発表します。
 この2人の論文と計算結果があまりにも良く似ているため、これを元に1846年9月23日、ベルリン天文台のヨハン ガレ(Johann Gottfried Galle 1812-1910)がやぎ座に8等の星を発見したのです。この星には、ギリシャ神話の海の神ネプチューン(Neptune)の名前が付けられ、日本では海王星と呼ばれました。

彗星の軌道と特異小惑星

 このころ、惑星の研究と同時に進んでいたのが彗星の研究です。それまで知られていた彗星は、太陽と木星軌道との間をまわる楕円軌道を描くものがほとんどでしたが、1862年に出現した大彗星(後のスウィフト・タットル彗星)は、その軌道を計算すると海王星よりも遠いところとの間を約130年もかけてまわっていることがわかりました。そして、紀元前からその出現が観測されているハレー彗星も、天王星軌道よりも遠いところとの間をまわっていることがわかりました。1910年の出現のときには、その尾が地球にかかるのではないかと大騒ぎになったことも有名です。
 そして、このような木星より遠いところをまわる楕円軌道を描く天体は、彗星だけではないことも解ってきました。1920年に発見されたヒダルゴという小惑星は、火星軌道付近と土星軌道の外側をまわっていることがわかりました。 

冥王星の発見

 天王星・海王星と大きな惑星が発見されたことから、そのさらに外側にもう一つ惑星があるのではないか?と考える天文学者は少なくありませんでした。そのひとりが、アメリカの実業家パーシヴァル ローウェル(Percival Lowell 1855〜1916)です。ローウェルはアリゾナ州のフラッグスタッフに私費で天文台を作り、研究を行っていました。
 ローウェルは、晩年に海王星の外側に惑星があることを予測しました。ローウェルの死後も、その意を受け継いだ天文台の研究者により惑星の捜索が行われていました。このころには、それまで目で望遠鏡を覗いて天体を探していた方法に代わって、天体写真による観測が主流になっていました。1930年2月18日、クライド トンボー(Clyde William Tombaugh 1906〜1997)は同年1月23日と1月30日にローウェル天文台で撮影した2枚の写真に、14等の天体が移動して写っているのを発見しました。
 この天体の軌道を計算すると、それ以前の1915年以後に撮影された写真にも同一の天体が写っていたことがわかり、この星が海王星より遠いところを約250年をかけてまわる天体であることがわかりました。当時、これほど遠くの天体が発見されたのははじめてだったため、当然のようにこの星は「惑星」として認められ、英語ではPluto・日本語では冥王星と名づけられたのです。

●おまけ● 惑星と「思いこまれた」もうひとつの理由

 冥王星の発見当時はようやく写真による観測がはじまった頃で、まだ天体観測の方法は望遠鏡を使って可視光(目で見える光)だけで行われていました。海王星より遠いところにあった冥王星は、どんなに大きな望遠鏡を使っても、写真乾板にはただの「点」にしか写りません。
 天体までの距離は、移動する天体を継続して観測することで軌道を計算すれば求められます。しかし、その大きさは望遠鏡で見たときの視直径を計るしか方法がなかったのです。点にしか見えない冥王星の大きさを、直接計ることはできません。そこで、すでに大きさと距離が解っている太陽系の他の惑星の明るさと冥王星の明るさを比較して、おおよその大きさを割り出したのです。これによると直径はおよそ10,000kmにもなり、海王星よりは小さいものの、惑星として十分な大きさがあると考えられていたわけです。
 ところが、その後の天体望遠鏡の改良や、赤外線・電波といった異なる観測方法が使われるようになると、冥王星の大きさが予想よりずっと小さいことが解ってきました。冥王星の表面が太陽の光を反射しやすい物質で覆われていて、天王星や海王星より明るく観測されていたこともその理由の一つと考えられます。。さらに、1978年にアメリカ海軍天文台のジェームズ クリスティ(James Walter Christy, 1938〜)によって冥王星に衛星(後にカロンと名づけられました)が見つかり、それが冥王星の直径の半分もある大きなものであることがわかったのです。
 それまでひとつの星だと思われていた冥王星が小さな2つの星であったことにより、冥王星本体の大きさはもっと小さいものであることがわかり、その後の観測により現在は直径2,200〜2,300km程度であることが解っています。ここまで小さくなると、他の小惑星と大きさ的にもあまり変わらなくなってしまうことも、今回冥王星が惑星からはずされた理由の一つとして上げられると思います。

エッジワース・カイパーベルトの存在

 冥王星の発見後、その外側の太陽系天体の捜索は一段落しましたが、代わって太陽系天体の注目は彗星に集まっていました。特に、その彗星がどこからやってきているのかが大きな争点となっていました。
 1943年、アイルランドの天文学者ケネス エッジワース(Kenneth Essex Edgeworth 1880〜1972)が、海王星軌道の外側に、彗星の起源となる天体があるのではないかとする仮説を立てました。一方で、オランダの天文学者ヤン オールト(Jan Hendrik Oort 1900〜1992)が1950年に提唱した「オールトの雲」は、太陽系よりもっと遠いところに、球状になった彗星の起源があるとしていました。さらに、アメリカの天文学者ジェラード カイパー(Gerard kuiper 1905〜1973)が、エッジワースの仮説を元に海王星軌道の外側に帯状に広がる「エッジワース・カイパーベルト」を提唱しました。しかし、この理論を実証する観測結果は、この年代には発見されることはありませんでした。

キロンとフォラスの発見

 1977年、アメリカの天文学者チャールズ コワル(Charles Thomas Kowal、1940〜)は、ひとつの小惑星を発見しました。その天体は普通の小惑星のように点の星として見られました。その軌道を計算すると、木星と土星軌道の間を公転する特異小惑星であることがわかりました。この小惑星には「キロン」という名前が付きました。
 ところが、このキロンを継続して観測していくと、ときどき突然明るくなって彗星のように拡散状になることがわかりました。このことから、このキロンは彗星のような小惑星として、どちらの天体リストにも含まれる天体となりました。
 さらに1992年、キロンよりさらに遠い土星と天王星軌道付近の間を公転する小惑星も見つかり、これには「フォラス」という名前が付けられました。

20世紀末〜21世紀に発見されたカイパーベルト天体

 このようにして、太陽系内の小天体が次々に見つかるようになり、ついに1992年8月、1992QB1という22.8等の天体が見つかりました。この天体は、冥王星軌道よりずっと遠い43.9AU付近を公転する直径200kmくらいの天体であることがわかりました。これを皮切りに次々と海王星軌道の外側の小天体が見つかり、1951年に提唱されたエッジワース・カイパーベルトの存在が、約50年をかけて実証されたのです。
 さらに21世紀に入ると、2002年に発見されたクワォワー・2004年に発見されたセドナなど、冥王星の大きさを凌ぐ大きな天体も見つかるようになりました。そしてついに、2003年に発見された2003UB313(エリスの名前が付きました)が冥王星より大きい直径約3,000kmもの大きさがあることがわかりました。


太陽系の天体の大きさ比較
新たに見つかった太陽系外縁部の天体の大きさも追加しました

惑星の定義とこれからの太陽系

 上の地動説以後の太陽系天文学の移り変わりの図を順を追ってみていくと、16世紀にはこんなに小さかった太陽系が、長年の研究によりどんどん広がっていることがお解りいただけると思います。
 このようにして、太陽系の外縁部の様子がわかるようになり、冥王星が特別な天体ではないことがわかってきたことで、今回、新たに「惑星」を定義することで分類を明確にし、今後次々と発見されてくるであろう天体に対応しようというのが、今回「定義」のいちばんの目的です。
 今後、さらに太陽系の外側のことが解ってくることでしよう。もしかすると、天動説から地動説への変化のような大きな発見が、これから起こるかもしれません。それには、常に宇宙に対して探求心を持つことが非常に大事なのではないでしょうか?。
 また、今回の惑星の定義は私たちの太陽系以外の惑星にも適用されます。現在、私たちの太陽系以外にも、おなじような惑星系を持つ星は次々に見つかっています。その中には、地球と同じような生命を宿している星もあるかもしれません。これからも、いろいろな宇宙のことが解ってくると思います。皆さんも是非星空を眺めて、宇宙に目を向けて欲しいと思います。

●おまけ● アメリカ対ヨーロッパの構図

 ここまでにも書いてきたように、天王星・海王星はヨーロッパの天文学者が発見した惑星で、冥王星はアメリカの実業家が私財をなげうって発見した、言わば「アメリカンドリーム」なのです。今回、冥王星が惑星でなくなることによって、アメリカの立場としては、「アメリカの星が一つなくなる」というイメージがあるのかもしれません。また、カルフォルニア工科大学(CALTEC)の研究者たちが近年発見した太陽系外縁部の天体には、「クワオワー」「セドナ」など、アメリカの黒人たちに伝わる神話を元にした名前が付けられていたりします。当初「惑星12個案」が提示されたときには、まだ名前が未定だった2003UB313にも、アメリカ神話の名前を付けたかったのではないでしょうか?

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