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 またまた1カ月以上ぶりになってしまいました。皆さんいかがお過ごしですか?。
 今年は6月の間に台風が2つも上陸しましたね。実は、私は6月初めの段階で、今年の台風は恐いよ・・・って、みんなに触れ回っていたんです(聞いた人いるよね(^_^))。気象庁や気象予報士の皆さん方では海水の温度(エルニーニョ関連)ばかりが取りざたされているのですが、日本の上空5000mの温度と気流の異常にはだれも関心を示さないんですよね。台風の形成過程と進路には、大平洋やシベリアの高気圧の勢力や動きも大きく左右しますが、日本に上陸したときの勢力や動きは、この上空の気流と温度が大きく左右します。

 前の台風6号が上陸したときに、私は三浦半島の観音崎のスタジオにいました。海の見える大きなガラス張りのオープンスタジオがあるのですが、外は大荒れの天気なのに、さすがスタジオ!。なんの音も聞こえてきません。真空びきされた3層ガラスによって、外の音は完全にシャットアウトされているんですね。  夕方スタジオを後にして、藤沢にある某取引先に納品ついでに挨拶に行きました。海沿いの国道134号はもちろん波をかぶって通行止めなので、山の中の県道をつないで走ってきました。みんなあまり外出していなかったのか、道路は比較的空いていて、思ったより早く着いてしまいました。しかし、すごい海風!。海から3kmくらい入ったところにあるにも関わらず、窓は潮でべっとり・・・。止めておいた車も真っ白になっていました。

   台風8号がきた先週末は、大阪方面にでかけていました。1日おいて2つの仕事が入っていたので、間の1日にまたちょっと遊んできました。私が遊んでくると言ったら、やっぱり鉄道ですね(^_^)。今回は、和歌山県に残ったローカル私鉄の一つ。紀州鉄道を訪れました。和歌山県内には、大阪から直通する南海電鉄が和歌山市内に乗り入れているのと、同じ南海電鉄の傘下に入っているローカル線の貴志川線(JR和歌山駅から分岐)、1日5往復・学校の休日は運休という有田鉄道(JR藤波駅から分岐)、そして今回訪れた紀州鉄道が残っています。
 紀州鉄道を紹介する前に、3年前に廃止された野上電鉄の写真をお見せします。この写真は'91年の11月に野上鉄道を訪れたときに撮影したものです。昼間は1両だけのちっちゃな電車が日方駅と登山口駅の間をいったりきたり。朝夕の学生輸送時には2〜3両の大きな旧型車が動いていました。木造の古い作りの駅舎がとてもよい雰囲気を作り出していたのですが・・・とても残念です。起点の日方駅はJR海南駅から5分ほど歩いたところにあるのですが、乗り換え客のためにJRの上りホームの先に専用の踏み切りと改札をもうけてあって、日方を出た列車はわずか50mの距離を走って連絡口という「駅」に着きます。
 途中の交換駅ではタブレット交換も見られ、昼間は地元のおばちゃんたちや通学の小学生が手軽な足として利用していました。このときはまだ道路の整備が進んでおらず、狭い道路に阻まれてバスは運行されているものの、決まった時間にきちんと走ってくれる鉄道の需要が高かったのです。道路の整備が進むにつれて、乗り換え無しでこまめな輸送ができるバスやマイカーにおされて、廃止されてしまったのです。同じような運命をたどったローカル私鉄は全国に数限りなくあります。

 そんな中、御坊の紀州鉄道はどっこい頑張って走り続けています。日高川の河口にあった港からの輸送手段として建設されたのがはじまりで、官営鉄道(現在のJR)の御坊駅が市街地から離れた場所に作られたこともあり、その連絡鉄道としての役割も果たしていました。詳しくは調べていませんが、かつて日高川岸にあった紡績工場までの専用線の跡は今ものこっており、その先の日高川に鉄道の橋脚と思われる跡が1つだけ残されていました。
 現在はJRに接続する御坊駅と、市街地南部の西御坊までの2.7km、片道わずか8分の距離を1日22往復と比較的頻繁に走っています。もちろん単線で交換設備もなく、20mクラスの大型気動車が一日中1両で行ったり来たりしています。途中駅は3駅で、途中の紀伊御坊に紀州鉄道の本社があり、かつてはここで交換ができるようになっていたようです。私は平日の夕方近くに御坊市内に着いたのですが、地方都市のわりにけっこう活気があって、一方通行の商店街の中は人でごった返していました。
 昭和35年製のこの気動車は「風鈴列車」と名づけられており、出入口付近の吊革のあるところに風鈴が吊るしてあり、列車が走ると涼しげに鳴り出します。もちろん冷房なんてものはついていません(^_^)が、意外と風情がいいものです。写真はその風鈴についていた短冊の1つ。「日本一」とは、路線の長さが日本一短いのです(^_^)。速度計が付いていないので実際の速度はわかりませんが、おそらく40km/hくらいではないでしょうか。実にのんびりと走っています。
 夜になると、白熱灯のあたたかい灯がともります。白熱灯を残している鉄道車両ももう残り少なくなってきました。南部縦貫鉄道のレールバスやキハ104・鶴見線のクモハ12・山陰本線のオハニ36・野上電鉄の旧型車たち・同和鉱業片上線のキハ04や07・一畑電鉄の旧型車などなど、生き残った白熱灯の温かさに何度か触れることができたのですが、それもみんな、無くなってしまいましたね・・・。


 当社も今年の10月で会社設立2周年を迎えます。いままでは天文関係がほとんどで、紹介などでパソコン関係の仕事も多少やるという程度でした。しかし、このままでは他の販売店との顧客の奪いあいになってしまい、私としてはあまり好ましい状況では無くなってしまうので、新規事業を展開しながら、天文市場の新規需要の開拓をしていこうと考えています。その新規事業展開として、「デジタルミニラボ」というものを考えています。
 先日、東京五反田のTOCで「ラボシステムショー」というショーが行われました。資料請求していた会社からの案内状で知ったのですが、予想以上に大規模なショーでした。30社くらい出展してたかな・・・。プロラボ用の機器から現像タンクまで(^_^)、いろんなものが出ていました。でも、各社とも時代は「デジタル」。いまはやりの「プリクラ」もこのシステムを応用したものですね。会場にも各ブースでお試し用のプリクラに、おじさんたちが群がっていました(^_^)。
 仕事柄ミニラボを利用する機会は多いのですが、最近は地方に出かけたときに、現地で撮った写真をわざわざ現地のミニラボを利用してみて、サービスの差や使用されている機械の違いを見てまわったりしています。もう地方都市でも「?分仕上げ」はあたりまえになってきているようですね。これからはデジカメも普及してくることになりますし、ミニラボ用のプリンタでも、今はスキャナが内蔵されているものがほとんどで、その場ですぐプリントができるようになっています。
 当社のノウハウを駆使して、これらの複合店舗をやってみようか・・・というのが、今の構想です。このミニラボ展開は会社を作ったときからあったものなのですが、いよいよ実現に向けてGOかな?と、考えているところなのです。ただ、本格的にやるからには、現実逃避したまま続けている音楽の仕事はすっぱりやめるつもりだから、まだ慎重に、いろんなことを調べたり考えたりしながら、少しずつ進めています。

 天文関係1本でやっていこうかという考えも当初はあったんです。しかし、実際2年間いろいろ試しながらやってみて、あまりの市場の狭さと業界内の足の引っ張りあいや程度の低いしがらみを見てしまって、はっきり言って業界に巻き込まれるのがいやになってしまいました。しかし、私がこの仕事をわざわざ会社を起こしてまではじめたのは、より多くの人に美しい星空の世界・天文趣味の奥の深さを知って欲しくてはじめたんです。その気持ちには変わりないし、ライフワークとしてやるくらいのつもりで考えています。今後も会社としてのボランティア活動には積極的に参加していきますし、このHomePage上でもできる限り皆さんに情報を提供していきたいと思っています。この夏に天体観望会を考えていらっしゃる学校や団体の皆さん、是非ご連絡ください。できるかぎり協力させていただきたいと思っています。

 最後に、先日高校時代からの知人の家に遊びに言ったとき、帰りがけに大爆笑してしまったことを書いておきます。去年の11月に結婚式を挙げ、はやくも今年8月には出産予定(^_^)の夫婦なのですが、深夜に遊びに行ってインターネットのセットアップなどをしてさて帰ろう。というときに、ふとしたきっかけで早口言葉の話題になりました。奥さん曰く自信ありげに「カツレツはできてるもん!」・・・。しばしの沈黙の後、私と旦那は大爆笑の渦!!。玄関で靴をはきかけていた私はその場でうずくまったまま2〜3分動けませんでした(^_^)。
 さて、なんで笑ったのか、あなたはわかりますか?。解ったら、メールくださいね(^_^)。そりゃ、カツレツはおいしいかもしれないけどさ(^_^)。

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